(旧)とりあえず俺と踊ろう

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望郷

被災地に向けて出発して、もう何日たっただろう。
昼ご飯はカップラーメン、夜は各自でコンビニ。
チタロウ氏と暮らしはじめて、こんなジャンクな食生活は数ヶ月ぶりだ。
そのせいか腹の調子も良くない。
チタロウ氏のご飯は野菜が多く、毎日トイレが気持ち良かったのだが、
被災地に来てからは、あまり良い腹具合ではない。
それでも好きなものを好きなだけ食べられるのは幸せというものか。
(どうでも良い話だが、腹具合とパラグアイは似ている)


チタロウ氏と太郎と遊ぶ夢をみた。
特に太郎は、寝転がって腹を見せ、顔はいつものように笑っていた。
帰りたいなぁ。
福島原発に長期派遣されている人たちの望郷の念は、
きっと今の俺の比ではないだろう。
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by Willway_ER | 2011-04-29 04:21 | 南三陸町(平成23年4月)

被災地入り5日目

被災地滞在はあと2日。
派遣チームの中でも長い方だ。

状況は少しずつ良くなってきている、はずだ。
電気の通る地域も少しずつ広がっている。
医療も軌道には乗ってきているようだ。

しかし、カルテなどの混乱ぶりはひどい。
このあたりの改善はだいぶ先になりそうだ。
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by Willway_ER | 2011-04-28 18:25 | 南三陸町(平成23年4月)

我が県よ、宮城県に押し売りをするな!!

各県からの派遣隊が、宮城県に大量の医薬品を持ち込んでいる。
これらは、各隊が帰るときに置き去りにされることが多い。
俺も含めて、医薬品は寄付だと思っていたが、
実は後日に各県から宮城県に請求するらしい。

南三陸町の医薬品は充足していて、持ち込む必要は全くない状況である。
そこに大量の、しかも各県で異なる採用薬やジェネリックを持ち込み、
置いて帰って本部の整理の手間を増やしつつ、代金まで請求するなんて、
押し売りよりもたちが悪いじゃないか。

せめて我が県だけでも、請求せずに済ますべきだ。
薬を大量に持ち込んだのは、我が県の情報不足に責任があるのだから。
帰宅次第、県本部に打診する。


この押し売りに近い実態は世間に広めるべきだと思い記事にした。
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by Willway_ER | 2011-04-28 05:43 | 南三陸町(平成23年4月)

被災地入り4日目

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正直、疲れた。
チームによっては5日間くらいで交代している。
それも分かる気がする。

毎朝毎夕に見るあの光景。
昼間は昼間で、眼下には壊滅した村。
春の陽射しは温かく、草花たちが日に日に伸びゆく中で、
人の造り上げたものは崩れ流され打ち捨てられている。
そんな対比を見続ける毎日。

津波や原発ばかりがクローズアップされているが、
地震の揺れそのものによる被害も甚大だ。
倒壊した家屋、通れなくなった橋、崩れた歩道。
報道されないから知らなかった現状。
見捨てられたのか、見落とされたのか。

被災地に入り、かつ、ネットで発信する人は多くはない。
昼間の診療支援だけでなく、現地情報の発信・拡散も、
自分に与えられた使命だと考える。



写真は、風呂もまともに入れない現状を知って欲しくて撮った。
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by Willway_ER | 2011-04-27 19:16 | 南三陸町(平成23年4月)

南三陸町の医療現状

震災から1ヶ月半が過ぎて、医療は移行期にある。
もともとが医療過疎地域だった南三陸町を、
今の手厚い医療体制から、医療過疎状態に戻す中継期間である。

当然、住民らからは不満が出る。
それに迎合して、
「もっと支援したいけれど本部の決定だから」
と言ってしまう支援チームがいるようだ。
そのせいか、住民の怒りの矛先が、
もともと南三陸町で医療に携わってきた本部に向いている。

人間は不便な環境にも適応できるが、
便利な環境に馴れきってしまうのも早い。
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by Willway_ER | 2011-04-27 10:03 | 南三陸町(平成23年4月)

被災地入り3日目

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帰りの車の中。
被災して瓦礫の山となった街は見慣れてきた。
しかし、目は慣れても、心が慣れない。
チーム5人とも、ほとんど口を開かない。

「普段の仕事の方が忙しいのに、こっちの方が疲れますね」
そう言うと、皆うなずいた。
車の周囲は360度、壊滅した景色だった。

テレビだけでは分からない現実がある。
今日も、派遣地域では住民らが電気のない生活を送っている。
震災から1ヶ月半、未だなお電気が止まったままの集落があるのだ。
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by Willway_ER | 2011-04-26 18:58 | 南三陸町(平成23年4月)

志津川病院で勤務していた看護師の被災体験

夕方からの準夜勤務に行くための準備をしていたら大きな揺れがあった。
津波を警戒し、荷物をまとめようとしたが、
部屋中が散乱していてそれどころではなった。
かろうじて車のキーだけを見つけ、志津川病院に向かった。

志津川病院近辺は、海に面した平地が広がり、
走って遠くの高台に逃げるのはほぼ不可能だ。
彼女は避難先として、車で3分の志津川病院を選んだが、
結果的にこれが大正解な選択だった。

彼女が病院に着くと、付近の人たちも病院に集まってきていた。
3階まで避難すれば大丈夫だと言われ、
住民や外来・入院患者らを3階に避難させた。

テレビではジワジワと水位が上がっているように見えるが、
現場で目撃した感覚では、一気に水がかぶさってきたらしい。
志津川病院を実際に見てみると、4階の窓も一部割れている。
3階までの避難では不十分だったのだ。

辛うじて助かった人たちは、4階や5階にある会議室などで過ごした。
津波が引いたあと、下に救助に向かった。
入院患者の中には、エアマットが浮かんで助かった人もいた。
しかし、そういう人たちも全身濡れてしまって、
中には低体温で亡くなってしまう人もいた。
物資もなく、ただただ見守るしかできなかった。

彼女が穏やかに語る被災体験は、壮絶だった。
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by Willway_ER | 2011-04-26 10:16 | 南三陸町(平成23年4月)

東日本の朝は早い

寝過ごしたかとドキッとする。
しかしまだ5時。

睡眠は10時間近くとった。
疲れはとれたが、喉の痛みは悪化。
ホテルの部屋が乾燥しているのか?
風邪薬、ビタミン剤、のど飴、ジュースと全力治療。

昨日も本を一秒も読まなかった。
今日こそは時間を見つけて少しくらいは読みたい。

何はともあれ、出発の準備。
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by Willway_ER | 2011-04-26 05:09 | 南三陸町(平成23年4月)

被災地入り2日目

診察室のある避難所には電気もガスも水道もない。
暖房がないから寒い。
一昨日からの強行軍と寒さで、風邪をひいたようだ。

仕事は、決して忙しくはない。
だからといって楽でもない。
狭い診察室は、同時に控え室でもあり、
そこにチーム5人がいるので、
やはり圧迫感があり狭さを感じる。

今日の昼食はカップヌードル。夜はケンタッキー。

朝5時起きだったこともあり疲れた。
明日は6時起きでも良さそうだ。

とにかく、疲れた。
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by Willway_ER | 2011-04-25 18:44 | 南三陸町(平成23年4月)

被災地で見たもの

大規模災害の中でも津波災害は特殊だ。
同じ地区でも被害甚大な家と、ほとんど無傷の家が明確に分かれる。
不便ながらも穏やかな日常と、凄惨無慈悲な現実が混在している。

災害発生から1ヶ月半。
避難所には、ちらほら笑顔も見られた。
ただやはり、生活の不便さからくる疲れのようなものは感じられた。

子どもたちはキャッチボールをしたり、自転車暴走族になりきったりして、
わりあいに明るく過ごしているように見えた。

若い女性は顔を伏せて歩いていた。
水が少なく顔を十分に洗えないので、化粧をあまりできないからか。
それから女性はトイレも大変だ。
トイレのドアがなく、青いビニールシートだけがドア代わりなのだ。
隙間ができてしまう。
大抵は数人組で行動し、互いにトイレの外で見張りをしていた。
水が流せないので、拭いた紙はごみ袋に入れる。
だから臭いはかなり強い。
水がないということは、命に関わるだけでなく、
生活の繊細な部分、人間の尊厳に絡むようなところにも打撃を与える。

桜のピンクがきれいだった。
タンポポの黄色が鮮やかだった。
春は、疲れきった村には不釣り合いなくらい、
容赦なく、あちらこちらで息吹いていた。
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by Willway_ER | 2011-04-24 18:53 | 南三陸町(平成23年4月)