(旧)とりあえず俺と踊ろう

南三陸町の今

9月10日土曜日に、朝から南三陸町が長時間テレビに映っていた。
辛坊治郎が立っていた場所はどのあたりか分からなかったが、
このブログの写真に写っている赤い鉄筋だけが残った建物が映っていた。
懐かしい、と言うのは不謹慎かもしれないが、それでもある種の感慨をおぼえたのは事実。
そして、4月末に医療派遣されたときよりは、当然だがかなり整備されているような印象だった。
ここに何度か書いたが、瓦礫は処分するしかないものばかりかもしれないが、
それらは決して、誰かが不要になって捨てたゴミではない。
いや、むしろ持ち主が大切にしていたものや、
持ち主が見つけたらこれからも大切にしておきたいものがたくさんあるはずだ。
だから、「瓦礫撤去が進んでいる」と聞くと、ちくりと胸が痛い。

瓦礫がなくなると、町(だった場所)の見た目はきれいになる。
それは決して悪いことではないはずなのに、見ていてなんだか辛くなる。
思い出は頭の中にある、心に残ってる、それは確かにそうなのだけれど、
瓦礫の山は、形を変えた思い出の山でもあるわけで……。

瓦礫の撤去が長引いていると国を批判する人もいて、
たしかにそういう部分もあるのかもしれないが、
長引いているのは日本人らしい心性も影響しているだろう。
国によっては、重機でガーッと押しやって終わりなんてやりかねないが、
アルバムや遺留品を拾いながらの丁寧な作業なのかなと思うのだ。

災害をケガに例えるなら、瓦礫はかさぶたみたいなものかもしれない。
力任せにはがすのではなく、今くらいに優しくゆっくり進めるのもありだと思う。
あくまでも、被災していない地域に住む者の考えに過ぎないが。
[PR]
by Willway_ER | 2011-09-12 18:06 | 南三陸町(平成23年4月)