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(旧)とりあえず俺と踊ろう

あらためて、被災地の写真を載せ続ける意義を書く

平成23年3月11日に三陸海岸で大津波が発生した。
そして、同年4月23日から、俺は宮城県南三陸町へ医療支援の派遣へ行くことになった。
最初、南三陸町は福島県だと思っていた。
それくらい、地図的には興味のない場所だった。

被災地へ到着して、想像を絶する光景に唖然とした。
津波が去ったあとの、まっさらとなって静かにたたずむ土地は、
テレビやネットで観る津波の動画なんかよりも凄まじくて生々しかった。
被災者の叫びや泣き声が聞こえてくるかのような、そんな気さえした。

とにかく写真を撮った。
診療所への行き帰り、診療の合間、そういう時間に撮りまくった。
マスコミで使われるような劇的な写真だけが多くの人の目に触れる。
しかし、被災地にはもっとたくさんの壊され流された思い出の痕がある。
少しでもたくさん記録に残して、より多くの人に被災地の現状を知ってもらわなくては。
そんな気持ちだった。

一週間の診療を終えて帰宅して、俺は不眠症になった。
そう長くは続かなかったが、もともとが睡眠には問題がなく、
被災地でもまったく睡眠トラブルはなかったので、我ながら驚いた。
寝つきかけると、被災地の光景が浮かぶ。
現地到着した時に感じた「被災者の叫びや泣き声」が、ふっと頭をよぎる。
夢の中に、流された街が何度となく現れた。

被災地支援に行く前に、漠然と、
「この震災報道は、わりと早期に自然消滅するだろう」
そう思っていた。
そして予想通り、各社足並みをそろえたかのように、
原発報道一辺倒になり、菅政権のだらしなさを垂れ流すようになった。
津波被害は、もはやニュース価値を失ってしまい、置き去りにされた。

忘れさせるかよ。

被災地で撮りためた写真はたくさんある。
これを毎日、ちょっとずつ載せることで、少なくともここを見る人は思い出す。
連日、被災地の写真をその日のトップに載せ続ける目的はこれだ。

葛藤もある。

津波のことなど、もう思い出したくない被災者もいるはずだ。
壊れた家、流された車やもの、そういった写真を撮られるだけならまだしも、
ネット上にアップされるのを快く思わない人もいるだろう。
まだ、妥協点は見つけきれていない。

それから、普通のブログに戻したいという気持ちも、正直ある。
精神科関連の話題、ニュースに対する意見、雑記、小説など、
それなりに時間をかけて書いた記事でも、すべて被災地の写真の下にくる。
人目に触れにくい。

それでも、まだまだ載せ続ける。
忘れさせないために。
そして、自分自身が忘れないために。
使命とまで言えば大げさだが、被災一ヶ月半後に現地へ行った俺なりの、
自ら勝手に抱いているささやかな使命感はある。


すべてを載せきるのに、あと一年半くらい。
by Willway_ER | 2011-07-28 06:17 | 南三陸町(平成23年4月)